3月上旬、早咲きの玉縄桜は満開の花をつけて、まだ堅いつぼみのソメイヨシノと交互に湘南アイパーク南側調整池沿いに植わっています(写真)。
小倉百人一首の梅の歌は「人はいさ」の一首のみですが桜の歌は「花の色は」など六首も選ばれるほどですから、有名な「桜」の歌はたくさんあります。どの一首を紹介すべきなのでしょうか。「梅」とは違って、ぱっと咲いて華やいで儚く散る「桜」の姿にこの世や人生の常ならぬことが感じられるからなのでしょう。百人一首には「紅葉」を詠んだ秋の歌も六首と多いのも、同じように儚く散る姿があるからなのかもしれません。
この「桜」と「紅葉」はたいへん馴染み深いので特別な感じもしませんが、長く読み親しまれてきた源氏物語(紫式部、作)においても第七帖の紅葉賀巻と第八帖の花宴巻や、六条院の「秋好中宮御殿」と「紫の上の御殿」といった具合に、並べ取り上げられているようです。今回は源氏物語からその主人公、光君が口ずさんだ桜の歌を紹介することにします。
深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け(上野岑雄 古今集)
草深い野辺に立つ桜の花よ もしお前に心があるならば、今年だけは墨色に染めた花を咲かせてほしい
薄雲巻(第十九帖)では光君の心に秘めた最愛の人、藤壷中宮が崩御なさいます。桜の季節に、鈍色(にびいろ・薄墨色)の喪服に身をつつみ深い悲しみに沈む光君のご様子が、桜の薄桃色と、墨染めの色との対比の中でますます強調されるようです。儚い人生やこの世の常ならぬことも感じさせる場面でこの歌を引用して光君に呟かせてみせるのもなかなかですよね。
とはいうものの、昔から今につたわる日本の心を十分にまだ理解できていないからか、湘南アイパークの満開の玉縄桜はただただ華やかで美しいばかりなのでした。